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失ったものの大きさ

大変悲しいニュースが舞い込んできました。
『たま駅長』が亡くなってしまわれたそうです。

猫を見ていると、自分の役割が解っているとしか思えないのです。
やって良いことややって悪いことも解っている。
たまちゃんは駅長という役割をしっかりと果たしていましたよね。
でも、駅長という役割だけではなく、たまちゃんの存在そのものが
バタフライエフェクトの大きな最初の一投のように他に与えた影響は計り知れないものがあるのではないか思わずにはいられません。
そして、なによりも、その存在を愛した人たちの心に暖かい思い出を残してくれた。
これは何よりの宝ではないでしょうか。

私も色々な生物を飼った時の事は忘れることはありません。
側にあって、当たり前の、暖かな、気持ちを癒してくれる存在。
でも、その存在が無くなった時の悲しみは、とても大きなものでした。
私の所に来て幸せだっただろうか?
もっと、可愛がって、もっと愛することができたのではないか?
つい、考えてしまうことがあります。
でも、これって人に対しても同じなのだと思ったりもします。
きっと、何をしても後悔ってついて回る気がするので、その時を精一杯
後悔を踏み台にして、より大きな愛が持てると良いなって思います。

ああ、明るい話題にしたかったのに『たま駅長』の話題を聞いて
しんみりした話しになってしまいました。

以前、ウチで飼っていた巨猫は
人の側にゴロンと横になると、人の手をポヨポヨの両手でつかんで
掻いて欲しい所に手を持っていくという事をしてくれました。
猫の手で掴まれるなんて、すっごく特別の事のように嬉しくて嬉しくて♪
なんか、人が猫にかまってもらうのが嬉しいのを解っていて、かまってくれているって感じも否めないのですが。
ともかく、私にとって猫は、愛すべき存在であり、人を大きな愛で包んでくれる存在です。

タグ:たま駅長
2015-06-26 | 共通テーマ:日記・雑感 | nice!(1) | コメント(0) | トラックバック(0) | 編集

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